2013年1月19日土曜日

じいちゃん(Jii Chan)


じいちゃん



 じいちゃんへ
 私のことよく知らないと思う。私の人生に五回しか会ってないので、その時でも私の考えをはっきり日本語で言えなかった。それでもじいちゃんの思い出がた くさんあるよ。一緒に温泉に行ったのも、じいちゃんが自転車の仕事を頑張っていたのも覚えてる。いつものようにお元気で。
 

ブルドーザーが祖母の家をバリバリと掘り起こしてるのかと思った。祖父の葬儀の日、942分、やっと救われる。祖母、母、私の三世代の女達が散らかった小さな部屋で一体どうしたんだろうと立ちすくんでいた。部屋はゆれ続けていた。
 じいちゃんだよ。自分のお葬式に行きたくないの。
母親のように、グーちゃんこと私の祖母はじいちゃんが自分のお葬式に行きたくないから暴れているんだと諭すように言った。
 これ、地震だよ!
母:論理の声がこれは地震だと言う。
母がメールで、これからじいちゃんにさよならを言いに石川県の実家に飛ぶんだと言って来た。えっ、さよなら?きっと何か大変な事に違いない。すぐに私も仙台の家から金沢まで夜行バスの切符を予約した。出発の朝、守おじちゃん、一番下のおじから電話が来て、じいちゃんが亡くなったことを知らされた。間に合わなかった。母はまだ飛行機の中、さよならを言えなかったんだ。
お邪魔しまぁす。私は翌朝早く到着する。一番上のおじの家に入り、靴を脱ぎ、そっと畳敷きの和室に入る。仏式の白い布に被われたじいちゃんは、私のおば、三人の息子、そして娘、私の母に囲まれていた。私の家族が属する仏教派によると祖父の遺体は常に直系の故人に交代で見守られることになっている。この二日間、二人のおじが交代でじいちゃんのそばにいた。彼らの顔は疲れ切っていた。そして、そこにはお香のにおいが漂っていた。
私はじいちゃんの横に跪き、小さな炭火の上にお香をふりかけた。お香の煙が私の顔に上り、頭を少し下げ、祈るように手をそっと合わせる。その時何を言ったのか何を考えたのか覚えていないけれど、どちらにしてもそれは英語でも日本語でも言い表すことはできなかった。
私は母を見た。母は顔を被っている白い絹布を持ち上げていた。そう、それはまさにじいちゃんだった。目を閉じ、口を結び、髭は綺麗に剃られ、肌は白く輝いていた。私はじいちゃんの額にそっと手をやった。冷たい。
私はじいちゃんのことを良く知らなかったが、今はずっと近しく思う。私が子供の時は、じいちゃんとグーちゃんと電話で話す度にこわかった。もしもしと言って、元気?と聞かれると、その後にはいつも空しい沈黙が漂った。ちょっとした思いも言葉も消され、私が習ったこともない言葉と聞いたことのない語句で、私は沈黙の闇に沈んだ。どうしてこんなに日本語を話すのが難しいのだろう。私の家族のみんなが話せるのに。
私が大学に入ると日本語を学ぶ機会に恵まれた。クラスの学生は、皆マンガやアニメに興味があったり、高校で日本語を勉強していたため単に簡単にAがとれるからと日本語を学んでいた。だから私はちょっと場違いの感じがした。私は電話でグーちゃんやじいちゃんと話したかっただけ。いとこ達と、そして母と彼女の母語で話したかっただけだった。
大学卒業後、すぐに日本の北、仙台にある小さな町に引っ越すことになった。まず私がしたことはグーちゃんとじいちゃんを訪ねることだった。じいちゃんは既に年をとっていて、私のことは覚えていなかった。私はじいちゃんと話そうと努力したが、果たして聞こえていたのか、それとも私のことが分かっていたのかはわからない。
二年後の今、私はこの手紙を握っている。棺桶のふたを閉める前、書いた手紙をそっと、注意深くじいちゃんの胸に置いた。日本語で書いた。「私のこと良く知らないと思う・・・」という言葉で始まる。二十三年後、やっとじいちゃんと話せるようになったけれど、それはじいちゃんのお葬式だった。私の日本での意味のない様な時間と何年間もの日本語学習がやっと実を結んだようだった。そして、私の手紙はじいちゃんと共に火葬された。
私はこれまで誰かが火葬されるのを見たことがない。棺桶は大きな火葬炉に入れられ、火葬されるまでにゆうに二時間はかかる。じいちゃんが焼かれる間、みんな控え室で待ち、おにぎりを食べていた。私はじいちゃんが炎に飲み込まれるところを思うと食欲が出なかった。それで、家族の墓まで歩いていって、雑草を抜き、私のご先祖にお参りをした。その墓をじっと見つめ立った。時間はいつも通り着実に進み、二時間が過ぎた。
じいちゃんは火葬炉から出された。彼の痩せた体と土色の頬、儀式の白い布、私の手紙、すべては細かい粒子になってしまった。これは徹底的な科学だ。熱力学の第一法則の完璧な例なのだ。
宇宙の物質とエネルギーの総量は一定の量であり、それ以上でも以下でもない。
私はじいちゃんがただ違った形でまだここに居るんだと思い込もうとした。火葬場で働く小柄な人が灰になるのからやっと逃れた大事な骨、 膝頭、顎骨、頭骨、歯などを一所懸命拾い集めてくれた。大きめの箸で、ひとつずつ、これらの遺骨を骨壺に移す。母から娘に、弟に、妹に。いとこからおじに、おばに、そしてまた母にと。それは箸の均整のとれた動き、巧妙なダンスのようだった。遺骨を落とさないように気をつけなくてはいけない。やっと終わる。灰から灰へ、粒子から粒子へ。日本の火葬の儀式は後に何一つ残さない。じいちゃんは今小さな骨壺にきれいに詰められ、視界からさってしまった。
この日の朝、母と朝食を共にした。母は健康に良い朝食にと七穀全粒パンとミューズリをお土産に持って来てくれた。これからの長い一日のために。私はグーちゃんのためにミルクを温めた。その後のことだった。地震。地殻変動プレート間の緊張が緩んだ、リリースされたのだ。
リリースは私が立っているこの基盤、 地盤は思うほど強くはないんだと思い起こさせてくれる。その地盤はただの安定の幻想なんだ、安定自体と間違われないようにと。肉体は簡単に粒子に変わってしまい、肉体は人生を通して人を乗せている乗り物にすぎないのだと。言語は感情の記号であって、人の考えを伝えようとする試みであると。そして、例え薄っぺらで偶然的であっても、これらすべてのシンボルはこの世界の意味づけに必要なものなのだ。実際、私にとってじいちゃんへの愛を感じるために、言語の壁をつき破ってまで日本語を学ぶ必要はなかったかもしれない。でも、そうすることによって遂にじいちゃんが理解できるように私は自分を表現することができたのだ。
 

 20121226
 ホノルルウィークリー