2018年7月6日金曜日

4月14日


2週間お休み。春休みも入って約一ヶ月ぶりのレッスン。今日は新年度のためか、参加者は7人。ボランティアの方が多くなりました。毎回人数の落差に驚かされます。新リーダーが年と年度の違いを説明。会計年度も合わせたらわかりやすかったかもしれないと思いマッました。Pさんは自分の授業が始まり今日からは欠席だったのでCさん一人の個人レッスンになりました。今回は休みの間に楽しんだことを話してもらいました。桜シーズンだったため、醍醐寺、鴨川、植物園、琵琶湖、大阪造幣局など精力的に回ったそうです。ご主人も台湾から来ていたのだとか。家を出てから目的地までどうやっていったか、どのぐらいかかったかを説明してもらいました。V-stem./Nに行く、来るを少し練習。〜とか〜とかV、〜たり〜たりするも練習。話す材料がたくさんあったのでそれを引き出すよい機会でした。漢字圏の学習者は漢字がわかれば語彙が頭の中でイメージされているようです。発音できなくても筆談できるから面白い。彼女の滞在目的や機関を話してもらう前にもう台湾に帰ってしまうと知らされました。「先生、お世話になりました。」と帰って行きました。たった3回のレッスンだったけれど、台湾でも日本語の練習を続けてくれると嬉しい。

3月15日

今日は参加者が18人ぐらいで、先週ほど満員状態ではありませんでした。先週来ていたCさんとPさんがまた来てくれました。2人に加えてまた新人2人の計4人で始めましたが、もう一人のボランテイアが遅れて現れたので新人2人を受け持ってもらいました。先週の復習から始め、volitional form(意志形)への変換の仕方を平仮名表を使ってきちんと練習。その後で可能形も。動詞の種類は2人とも習っている様子。Cさんは一段、五段動詞、Pさんはグループ1、2動詞。名称が統一されていないので多様な学習者を相手に教えるときはややこしいと思います。「〜ようとしたけれど、〜できませんでした」それに対して「〜してください。段々〜ようになりますよ。」Pさんにとって漢字を覚えるのは難しい、チョーさんにとって日本語でペラペラ話すのは難しい〜などと身近な場面を使って会話してもらいました。2人ともやる気満々、話慣れていないからか時々詰まってしまいます。次回は「どうしたら?ばいいでしょう?」「〜たら・〜ば上手になると思う」を練習予定。学習者が教科書に合わせて学習するのではなく、学習者にあわせて説明を提供するというのも面白いと思いました。

3月8日


今日は、台湾、中国、ベトナム、韓国、フランス、アメリカ、イギリスなど出身国、年齢、日本語能力レベルも目的もまちまちな学習者が22人ほど集まりました。ボランティアは7−8名ほど。学習者は各自レベルを自己申告し、2−3人ほどのグループに分かれて学習。私が担当したのは会話を練習したいという中初級レベルの人たち。簡単な自己紹介から雛祭りについて話し合い、それぞれの国のお祭りや年中行事について聞きました。何月何日、どんなことをするかなど。Pさんがイギリスのガイ・フォクス・デーの説明を始めたときに「王様を爆弾で殺そうとしましたが、殺せませんでした」と言いたいところで突き当たりました。そこで、「Vそう」と「出来ない」を使って色々な場面を考えさせ、説明と練習を試みました。納豆、大文字、パーティ、待ち合わせ、日本語などなど。次回この人たちがまた来れば、動詞のフォーム変換をきちんと練習できればと思いました。Pさんが別れ際に「今日は便利で、楽しかったです」と一言。そんな一瞬を嬉しく思いました。

2018年4月26日木曜日

2月22日国際交流会館でのボランティア


今日から京都で日本語ボランティアを始めました。これまで、大学という環境でしか教えたことがなかったのですが、京都というユニークな町で新しい出会いが出来ればと始めました。場所は京都国際交流センター。午前中と午後の授業を見学。どちらも10人弱の学習者とほぼ同人数のボランティアが来ていて、あらゆるレベルを殆ど1対1で教えています。続けて来る人もいれば、その日限りの人、今日来ても来週は来ない人、旅行で興味半分で来る人もいるそうです。ボランティアの先生は熱意と愛情で教えている人、何か役に立ちたい、学びたい、知り合いたいという人が多いようです。
午後のクラスで印象的だったのはMさんとペアを組んで学んでいた看護師で中国人のYさん。来日3年目で日本語学校でも日本語を学び、日本で看護師の資格を取り、現在は病院で介護士として活躍しているという頑張り屋さんです。年配の人相手だからおじいさんおばあさんの日本語表現を理解しなくてはいけないのが難しいそうです。日常の仕事や生活の話をしながらMさんは発音や話癖になってしまった「の」挿入を丁寧に注意していました。「あの時」の使い方エラーから「その時」についても説明。的確な説明でした。元本屋さんのMさん、きっと働きながら本を手に取り日本語について学習したのかもしれません。
当日誰が来るかどんな人が来るか、何を学びに来るのかを蓋を開けてからその場で判断、一時間半で学習を提供するのは並大抵の事ではないと思いました。

2013年1月19日土曜日

じいちゃん(Jii Chan)


じいちゃん



 じいちゃんへ
 私のことよく知らないと思う。私の人生に五回しか会ってないので、その時でも私の考えをはっきり日本語で言えなかった。それでもじいちゃんの思い出がた くさんあるよ。一緒に温泉に行ったのも、じいちゃんが自転車の仕事を頑張っていたのも覚えてる。いつものようにお元気で。
 

ブルドーザーが祖母の家をバリバリと掘り起こしてるのかと思った。祖父の葬儀の日、942分、やっと救われる。祖母、母、私の三世代の女達が散らかった小さな部屋で一体どうしたんだろうと立ちすくんでいた。部屋はゆれ続けていた。
 じいちゃんだよ。自分のお葬式に行きたくないの。
母親のように、グーちゃんこと私の祖母はじいちゃんが自分のお葬式に行きたくないから暴れているんだと諭すように言った。
 これ、地震だよ!
母:論理の声がこれは地震だと言う。
母がメールで、これからじいちゃんにさよならを言いに石川県の実家に飛ぶんだと言って来た。えっ、さよなら?きっと何か大変な事に違いない。すぐに私も仙台の家から金沢まで夜行バスの切符を予約した。出発の朝、守おじちゃん、一番下のおじから電話が来て、じいちゃんが亡くなったことを知らされた。間に合わなかった。母はまだ飛行機の中、さよならを言えなかったんだ。
お邪魔しまぁす。私は翌朝早く到着する。一番上のおじの家に入り、靴を脱ぎ、そっと畳敷きの和室に入る。仏式の白い布に被われたじいちゃんは、私のおば、三人の息子、そして娘、私の母に囲まれていた。私の家族が属する仏教派によると祖父の遺体は常に直系の故人に交代で見守られることになっている。この二日間、二人のおじが交代でじいちゃんのそばにいた。彼らの顔は疲れ切っていた。そして、そこにはお香のにおいが漂っていた。
私はじいちゃんの横に跪き、小さな炭火の上にお香をふりかけた。お香の煙が私の顔に上り、頭を少し下げ、祈るように手をそっと合わせる。その時何を言ったのか何を考えたのか覚えていないけれど、どちらにしてもそれは英語でも日本語でも言い表すことはできなかった。
私は母を見た。母は顔を被っている白い絹布を持ち上げていた。そう、それはまさにじいちゃんだった。目を閉じ、口を結び、髭は綺麗に剃られ、肌は白く輝いていた。私はじいちゃんの額にそっと手をやった。冷たい。
私はじいちゃんのことを良く知らなかったが、今はずっと近しく思う。私が子供の時は、じいちゃんとグーちゃんと電話で話す度にこわかった。もしもしと言って、元気?と聞かれると、その後にはいつも空しい沈黙が漂った。ちょっとした思いも言葉も消され、私が習ったこともない言葉と聞いたことのない語句で、私は沈黙の闇に沈んだ。どうしてこんなに日本語を話すのが難しいのだろう。私の家族のみんなが話せるのに。
私が大学に入ると日本語を学ぶ機会に恵まれた。クラスの学生は、皆マンガやアニメに興味があったり、高校で日本語を勉強していたため単に簡単にAがとれるからと日本語を学んでいた。だから私はちょっと場違いの感じがした。私は電話でグーちゃんやじいちゃんと話したかっただけ。いとこ達と、そして母と彼女の母語で話したかっただけだった。
大学卒業後、すぐに日本の北、仙台にある小さな町に引っ越すことになった。まず私がしたことはグーちゃんとじいちゃんを訪ねることだった。じいちゃんは既に年をとっていて、私のことは覚えていなかった。私はじいちゃんと話そうと努力したが、果たして聞こえていたのか、それとも私のことが分かっていたのかはわからない。
二年後の今、私はこの手紙を握っている。棺桶のふたを閉める前、書いた手紙をそっと、注意深くじいちゃんの胸に置いた。日本語で書いた。「私のこと良く知らないと思う・・・」という言葉で始まる。二十三年後、やっとじいちゃんと話せるようになったけれど、それはじいちゃんのお葬式だった。私の日本での意味のない様な時間と何年間もの日本語学習がやっと実を結んだようだった。そして、私の手紙はじいちゃんと共に火葬された。
私はこれまで誰かが火葬されるのを見たことがない。棺桶は大きな火葬炉に入れられ、火葬されるまでにゆうに二時間はかかる。じいちゃんが焼かれる間、みんな控え室で待ち、おにぎりを食べていた。私はじいちゃんが炎に飲み込まれるところを思うと食欲が出なかった。それで、家族の墓まで歩いていって、雑草を抜き、私のご先祖にお参りをした。その墓をじっと見つめ立った。時間はいつも通り着実に進み、二時間が過ぎた。
じいちゃんは火葬炉から出された。彼の痩せた体と土色の頬、儀式の白い布、私の手紙、すべては細かい粒子になってしまった。これは徹底的な科学だ。熱力学の第一法則の完璧な例なのだ。
宇宙の物質とエネルギーの総量は一定の量であり、それ以上でも以下でもない。
私はじいちゃんがただ違った形でまだここに居るんだと思い込もうとした。火葬場で働く小柄な人が灰になるのからやっと逃れた大事な骨、 膝頭、顎骨、頭骨、歯などを一所懸命拾い集めてくれた。大きめの箸で、ひとつずつ、これらの遺骨を骨壺に移す。母から娘に、弟に、妹に。いとこからおじに、おばに、そしてまた母にと。それは箸の均整のとれた動き、巧妙なダンスのようだった。遺骨を落とさないように気をつけなくてはいけない。やっと終わる。灰から灰へ、粒子から粒子へ。日本の火葬の儀式は後に何一つ残さない。じいちゃんは今小さな骨壺にきれいに詰められ、視界からさってしまった。
この日の朝、母と朝食を共にした。母は健康に良い朝食にと七穀全粒パンとミューズリをお土産に持って来てくれた。これからの長い一日のために。私はグーちゃんのためにミルクを温めた。その後のことだった。地震。地殻変動プレート間の緊張が緩んだ、リリースされたのだ。
リリースは私が立っているこの基盤、 地盤は思うほど強くはないんだと思い起こさせてくれる。その地盤はただの安定の幻想なんだ、安定自体と間違われないようにと。肉体は簡単に粒子に変わってしまい、肉体は人生を通して人を乗せている乗り物にすぎないのだと。言語は感情の記号であって、人の考えを伝えようとする試みであると。そして、例え薄っぺらで偶然的であっても、これらすべてのシンボルはこの世界の意味づけに必要なものなのだ。実際、私にとってじいちゃんへの愛を感じるために、言語の壁をつき破ってまで日本語を学ぶ必要はなかったかもしれない。でも、そうすることによって遂にじいちゃんが理解できるように私は自分を表現することができたのだ。
 

 20121226
 ホノルルウィークリー
                                                                       

2011年3月20日日曜日

Message for Japan and messages from Japan

It has been over one week since the TV program that we were watching suddenly switched over to an emergency alert for Tsunami in Tohoku, Japan. Since then, many many people have expressed their concern, thoughts, support and sympathy to me. Just like me, many people expressed their powerlessness, offered their services, and asked me what they can do.
Although it was after another big disaster in Christchurch, New Zealand, many kiwis also came to me and expressed their thoughts, even while they haven’t yet rebuilt or recovered from their own disaster. I got the sense that we all want to express our thoughts somewhere and do something for people in Japan. Donations of supplies, money, or blood are one thing and prayers for Japan are another thing. And here is another option: to write your thoughts in your words to people who believe in sustainability for Japan. The website below is their bulletin board where I volunteer translating from English into Japanese.
http://www.japanfs.org/en/pray4japan/message.cgi
I have been trying to get in touch with people I have known through the F&M-TGU exchange program. I briefly translated the part telling us how they are doing.
*From Miya Shimura: Former exchange student from TGU in Ishinomaki
私のこと覚え下さり、わざわざご連絡頂き本当に本当にありがとうございます。昨日やっと携帯が使えるようになりました。ただまだ電気が通っておらず、電池がなくなってしまうとまたお返事できなくなるかもしれません。先生、お元気ですか?旦那さん、娘さんは?本当に懐かしいです。
私の住んでいる石巻の街は本当に大変なことになっています。話をきくたび涙がでます。
私は幸運なことに、家の一階は水でダメになりましたが二階は無事だったので今は家族みんなで二階に住んでいます。
先生本当にご連絡ありがとうございました。とても心強く、元気を頂きました!!電気も通って落ちついたらまた連絡致します。
本当にありがとうございました。
I can finally use my cell phone now. But we still have no power and if the battery runs out, I may not be able to respond to your message… The Town of Ishinomaki where I live is truly in terrible shape. Every time I hear a story (from other people) I start to cry. Luckily, the second floor of our house was safe although the first floor was damaged by water. So I now live with my family on the second floor. Thank you very much for contacting me.
*From Prof. Michiko Oda: Former Dean of the International Program at TGU
御親切なメールを拝受いたしました。夫の小田忠雄と私は無事で、横浜在住の小
田正雄と京子宅に泊まっております。マレーシアで開かれた会議に出席し、3月
14日に成田に戻りましたが、仙台に戻る交通手段がありませんでした。それ以
来息子夫婦宅におります。14日夜に仙台の我が家の隣の方と電話連絡がつきま
した。彼女の話によると、我が家は外から見る限りOKとのこと。高森の我が家の
あたりでは電気と水道が復旧していますが、ガスはまだとのこと。食糧難で大変
のようです。いつ仙台に戻れるかわかりません。
どうぞお元気で。マルソー先生に宜しくお伝えください。
My husband and I are safe and we are currently living with Tadao (their son) and Kyoko Oda in Yokohama. We attended a conference in Malaysia and returned to Narita on 3/14 but there was no way for us to go back home to Sendai. Since then we have been with our son’s family. We could get in touch with our next door neighbor in Sendai on the night of the 14th. According to her, our home looks okay from the outside. I heard that electricity and water now are restored but not gas in Takanomori (Sendai neighborhood), where our home is. There seems to be difficulty obtaining food there. We still don’t know when we can return to Sendai.
*From Hishinuma sensei in Yamagata who taught Japanese at F&M for 2 years
応援メッセージありがとうございます。中出先生に元気をもらいました!確かにしばらく大変ですが、いずれまたよくなりますよね。そう信じます。私は被害を受けなかったんだし、今自分にできることを探してがんばりますね。とりあえずは献血。それから節電。でもガソリンは死活問題です。週末並んでみようと思います。
……….Certainly it has been terrible but it the situation will someday return to normal. I believe this is the case! I didn’t experience any injury or damage, so I’ll do my best to look for whatever I can do here. For now, blood donations and saving electricity! But the gasoline shortage is a matter of life or death (here in rural Japan). So I’ll try to wait in line next week.

*I also got in touch with former Japanese TAs: Brandy and Yui in Tokyo. Although they are suffering from rolling blackouts and shortages of supplies, they are well and sharing their energy and spirit with others.
Jeremiah Sechrist, who is in Mie Prefecture, is safe.
Katy Handlir’s, Steve Kennedy’s, and Verny Lim’s host families are safe according to them.

This is what I have found out so far. I’ll inform you if I find out more information.

2010年8月13日金曜日

日本語3年生「私の意見」



私はどんな大学を卒業したかより能力の方が大事だと思う。東大などの大学に合格する人は頭がいいことはいいが、そんな大学に合格していなくても能力のある人も多いと思う。それに、有名な大学を卒業していない人の能力が認められたら、「受験地獄」などの問題がだんだん減るかも知れない。

——その上、大学に合格するためにせっかく勉強しても、不合格によってその人の人生が否定される学生も多いはずです。それは一番大変な問題だと思います。

日本では登校拒否は大きな問題です。子供は学校に行かなかったら、就職出来ないだけでなくて、社会にも参加できません。だからその現状が解決されなくてはいけません。

一番大切なのは卒業した学校ではなくて、逆にどんな教育やどんな専門かということだ。

いじめの問題は制度の問題ではなく人間の問題だから、世界の子供達は自信や自尊心がない限り、いじめ問題は存在し続けると思う。だから、私にとって自信と自尊心は本当に大切なことだと思う。

私にとって学歴社会は子供にプレッシャーを感じさせますから、反対です。そして有名大学が良いと思う一方、そんな大学を卒業しても頭が悪い人もいます。能力の方が大切だと思います。

いじめ問題は悪いことは悪いけれど、日本だけでなくどこでも同じ問題があると思う。それはどこでも人生が大変で苦しいから、人間の自然はそんなことに影響を受けて悪いことをするようになるのだろう。

いじめはどこでもいつでもあります。いじめられた生徒の一番大切なことは他のいじめられた生徒と友達になることだと思います。

ゆとり教育は簡単過ぎると思います。楽しそうですが、あまり習っていませんね。教育についてはバランスがある限り、外で遊んだり、普通の子供になったり出来ると思います。

受験戦争は私にとってとても大変で苦しそうです。子供はいつもいつも勉強ばかりして楽しいことが出来ません。学ぶところが学校であっても、楽しいことをするところも学校だと思います。バランスが大切です。